【ミャンマー】タナカとロンジー、そして フラット化

 はじめに

本記事では、タナカとロンジー、この二人の正体、

そして共通点、さらには今後の動向を追っていきたい。

 タナカの正体

タナカと聞いて何を思い浮かべるだろうか。

そう、「田中」である。

佐藤、鈴木同様、日本では割と多い苗字である。

学校のクラスに一人はいてもおかしくない。

しかし、ミャンマーではタナカは「田中」ではない。

ミャンマーでは、タナカはアルファベットで「Tanaka」ではなく、「Thanaka」。

日本の田中以上に生活に結びついたもの必需品のことを言う。

では、ミャンマーのタナカは何か。

ミャンマーに行くと、必ずと言っていいほど顔にベージュの円形の模様をあしらった人を見る。

特に女性や子供に多い。

この顔に塗っているものがタナカだ。

ミャンマーでは、タナカは伝統的な化粧品のことをいう。

あるネット記事によると、田中は2000年以上も昔から使われていて、

特に女性にとっては、モーニングルーティンの一つとして毎日のように使っているようだ。

タナカの原料はタナカの木の樹皮だ。

木片に水を足しながら削って行くと肌色の液体ができる。

日本で言えば、書写の際に墨を削る感覚に似ている。

この原料の木は安いもので100円程度のものから売っているようだ。

美容効果はもちろん、日焼け止めとしても効果を発揮する。

それが、タナカだ。

 ロンジーの正体

同様に、ロンジーと聞いて何を思い浮かべるだろうか。

そう、欧米の女性の名前。

デイジーやらスージーといった類の名前だ。

しかし、ミャンマーではタナカ同様違う。

ロンジーの正体は、ミャンマーの伝統的な民族衣装。

下半身に身につけるロングスカートのような服のことだ。

女性だけでなく、男性も着用する。

色も落ち着いた色から、華やかな柄まで色々と存在する。

着用方法もとても簡単。

筒状の形状をしているので、腰まで履き、バスタオルを巻くように腰のあたりで折って調節する。

ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダに入る時も、

短パンやスカートで入ることができないので、ロンジーを係の人に渡され着用した。

とても着やすく涼しい。

ミャンマーでは老若男女を問わずに着ている国民服。

通勤や冠婚葬祭などの行事でも着用される。

 若者離れと、世界のフラット化

しかし、近年タナカやロンジーは若者離れしているようだ。

ヤンゴン市内を歩いていても、洋服を着ておしゃれを楽しむ若い人たちを多く見る。

タイや中国からの安価な服の輸入などの影響もあるようだ。

タナカを顔につける若者も街ではあまり見ない。

若者離れは、言ってしまえば、タナカやロンジーに限ったことではない。

ヤンゴン市内を歩けば、世界的なホテルやショッピングモール、西洋化されたカフェをよく見る。

いわゆる世界のフラット化である。

スーレーパヤー通りを歩けば、大きなホテルやきらびやかなお店が多くある。

しかし、一つ通りを変えるだけで、屋台があったり、地元の小売店が立ち並んでいたりする。

ねっとりとした暑さに、

いつから使っているのかわからない油であげたパンやお肉を売るお店が並び、

ローカルな匂いを感じる。

ヤンゴンという一つの都市を考えてみても、

多少のすみ分けはあるにしろ、ローカルの中にグローバルな建物が乱立し始めている。

それだけミャンマーという国が発展し、諸外国の企業が進出しているということであるし、

どこの国に行っても同じようなサービスを受けることができるということは、

利便性という点で良いことでもある。

一方で、タナカやロンジーをはじめ伝統的な文化は、

グローバルな社会の波にのまれ、廃れてしまうこともある。

日本であっても、伝統的な着物を日常的に着ている人はほぼ見ない。

お祝い事や伝統的な行事に着るようなもので、文化が「ハレ化」している。

今なお、軍事化と民主化で争っているミャンマーにおいて、

どのような発展の道をたどるのだろうか。

 近くのカフェで

東南アジア諸国は、ベトナムやインドネシア、タイなどコーヒー産業が賑わっている国が多い。

ミャンマーもシャン地方を中心にコーヒー栽培に適した地域があり、

個人的にも注目しているコーヒー生産国である。

しかし、コーヒー文化は庶民に根付いていない。

スーパーなどにコーヒー豆が売られているが、

ミャンマーコーヒーを飲めるカフェはかなり限られている印象がある。

ホテルの近くにあったカフェに入った時のことである。

ヨーロッパのような雰囲気の店内で、

日本の徳利に入ったミャンマーのスペシャリティコーヒーをのむことができた。

浅煎りで、ベリーやシソのような程よい酸味を感じ、味に関して言えば、とても美味しかった。ミャンマー産のコーヒーのクオリティーの高さに驚いた。

コーヒーを飲みながら店内を見渡していると一つ気付くことがあった。

店内には欧米人しかいないのだ。

もちろんカフェのスタッフはミャンマーの人であろうが、

お客にミャンマーの人はその時誰もいなかった。

つまりは、フラット化された世界ではこういった物価の差が生じている。

カフェの外に出れば、格安の野菜が売られ、何十円、数百円で飲み食いができるのだが、

カフェのメニューを見れば、コーヒーが千円近くで売られ、

サンドイッチなどのフードを頼めば一人千円以上はかかってしまう。

そんな物価の差をお店の外と内で間近で感じる。

フラット化された世界ではどこに言っても美味しいサンドとコーヒーが手に入る。マクドナルドやKFC、スタバなどの世界的チェーンはどこの都市に行ってもあると言っても過言ではない。

価値とは何なのか、グローバル化とはこういうことなのかと考えさせられる。

解決策は何なのか。

世界がフラット化している中で、ローカルなものこそ他のものと個別化できる力となる。

一人ひとりの想像力が鍵のようだ。

3年前

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